ココロのバリアフリー計画
こんにちは。
今から10年前の6月19日。
東京の渋谷区松濤にある温浴施設「シエスタ」にて、
大爆発事故がありました。
昨日、2017年の6月19日は、
その日からちょうど10年経った日でした。
その事故で、
従業員3名が死亡し、
2名が重傷。
また近隣住民にも数名の負傷者が出ました。
その事故の時に、
従業員として館内にいて、
脊髄損傷の重傷を負った、池田君江さん。
彼女はその事故で、
一命はとりとめたものの、
その後は、車いすの生活を余儀なくされました。
昨年、ある知人を介してご縁をいただき、
友だちになりました。
彼女とは飲みに行ったり、
食事に行ったりさせていただいております。
(そればかり・・・ではなく講演会なども行っています)笑
そんな席では、
笑顔で、ツライことはほとんど語らずに、
いつも笑いばかりの飲み会になり、
ついつい飲みすぎてしまいます!(お互いにね!)
そして、彼女は今、
NPO法人「ココロのバリアフリー計画」の、
理事長を務めていて、
全国に車イスでも対応できる、
バリアフリーのお店を増やすという活動をしております。
http://www.heartbarrierfree.org/
この日は、
ココロのバリアフリー計画が認定NPOを取得したこと。
バリアフリーの応援店舗が1000店舗を突破したこと。
そして、
事故からちょうど10年、
すなわち君江さんが車イスになってちょうど10年。
まさにその日だったこと。
これらが合わさったこの日、6月19日。
NPO法人ココロのバリアフリー計画
「第1回ココロの交流会」が開催され、
君江さんにお誘いいただきました。
そこで、私も始めて多くのことを聞きました。
涙とともに・・・
事故当日。
壮絶なんて言葉では言い表せないほどの、
悲惨な状況だったと思います。
その時の映像も観ましたが、
恐ろしい地獄絵図でした。
現場にいた人、関係者はもちろん、
その家族、利害関係にある方。
壮絶な対応を強いられたと思います。
その後、どのような話があって、
どのように解決に向けたのか?など、
私は知りませんので語りません。
いえ、語れません。
ただ、
この交流会は、
事故から10年、
多くのココロある人たちとの、
出会い、輪、つながりが生んだものでした。
まず、池田君江さんの復活劇。
壮絶なリハビリ。
自分の心を奮い立たせ、
周りのココロ熱き人たちの援助や助言。
その言葉にさらに自分をも奮い立たせ、
新たな活動にまで動き出した、
不撓不屈の精神。
当然、ツライこともあったかと思いますが、
それを乗り越える勇気。
そして、
当日お話いただいたすべての皆さんが言葉にされていた、
君江さんのご主人と、娘さんの、
誠意ある、ココロある対応。
もっというと未来へ向けた対応。
これがなかったら、
こんなステキな10年目も迎えられなかったのではないか?
と思いました。
皆さんがおっしゃっていました。
また、交流会には、
10年の月日を経て、
当時の運営会社の社長さまや、
奥様を事故で亡くされたご主人さまなど、
ご招待されていました。
そして、壇上より、
その方々は、
冷静に当時とこの10年を振り返っておられました。
この10年、多くの障害があり、
それらを乗り越えて今があると思いました。
この場で皆さんが集まるなんて奇跡だと思いました。
君江さんの挨拶の言葉。
「事故は起きなかった方が良かったけど、
起きてしまったものはもう戻せない。
それより、こうして車イスになったからこそ、
これだけ多くのご縁や出会いがあり、
こんなステキな交流会が開催できた。
今となっては、良かったと思う。」
涙・・・一同・・・・涙。
強い!なんて強い人なんだ!
また、涙・・・。
そんな多くの感動を胸に、
また新しい出会いもありの、
最高の交流会に参加させていただきました。
「過去は変えられない。
ならば未来に向かって前進するしかない。」
この交流会を締めくくる言葉でした。
本に書いてあるようなこの言葉を、
実際にやり遂げつつある人や家族がいました。
それを応援し、助けようとする、
多くの人たちがいました。
そして、
その人たちが大きなつながりになり、
大きな輪になっていきました。
凄まじきパワーをいただき、
自分自身、
「小さいことで、悩んでいる場合じゃねーな!
過去は変えられないんだから、前進しよう!」
そう熱くココロに刻み込んだ、
そんな日でした。
君江さん、ありがとうございました。
今日のブログは、
本当はもっともっと伝えたい言葉もあったのですが、
自分が感じたことを素直に書きました。
自分の中では、がんばって書きました。
もし、言葉足らずだったりしたらすみません。
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